コラム
     

慶応義塾大学釣魚会の創立

   
   創立の動機    清水一照(昭和33年卒)記  
   
  1.大学釣魚会連盟の結成と発展  

 

   

  昭和30年6月早稲田大学に「釣の会」が発足、関西では同志社大学が「釣の会」の設立設立準備に取りかかっていた。当時塾軟式庭球部に居られた芳賀先輩方が、早大同部の連中からハゼ釣に誘われたのが発端で、仲間を集められ「釣人会」を発会された。

  同年11月28日、つり人社主催「四大学学生釣座談会」が開催され、「学生釣の在り方」が議論され、その後慶応、早稲田、立教及び東大により「四大学釣魚会連盟」が結成された。

 その目的とするところは、

   1)釣を学生スポ−ツとして広く普及することに務め、もって学生相互の親睦を計る。

   2)我々は釣技釣法の研究を行い、進んでその対象たる釣魚の生態等の研究に努め、
   且つ乱獲を排して、魚類の保護育成に努力する。

と言うことであった。この目的は四大学・六大学釣連から更に検討され関東学生釣連に引き継がれたものであるが、今日でも広く各大学の綱領や総則に定められていると思う。

  更に、各大学においても釣の会や釣同好会が発足、学生による釣の気運が盛り上がった。

  昭和31年2月、学習院大学及び明治学院大学の参加があって「四大学釣魚会連盟」は「六大学釣魚会連盟」に発展、更に32年3月に「関東学生釣魚会連盟」へと進展した。

 

  2.我が塾先輩方の功労  
   

 前述に通り慶応大学では、独立パ−トとして「釣人会」が3、4名の同好者により結成されていて、座談会や連盟の結成に積極的に参加されていた。

 昭和31年11月の「六大学釣連ハゼ釣競技会」では、当番校として芳賀、佐々木、松木諸先輩が、東神奈川の岡田屋に詰め、早朝より幹事の労を取っておられたことが大変印象に残っている。その時の獲物は、横浜の孤児院に寄贈され、雑誌「つり人」等で紹介され、学生の釣の在り方の一つとして大変好評であった。昭和32年2月末、学期末試験も終わり先輩方は卒業まで間があって、釣魚会創立の準備に塾生の釣愛好家調査のため、数千枚の「学生簿」チェックに大変ご協力頂いた。

 

 

 釣魚会の創立

 
  1.釣魚会創立の機運  
   

 昭和32年3月先輩方は卒業され、「釣人会」は井上浩一君と私の2名になった。

 当時、「六大学釣連」では立教や早稲田のル−ムでよく会合を開き、各大学の釣魚会の発足の動きに合わせ「六大学釣連」の将来の発展に備え、名称を「関東学生釣魚会連盟」と改め、規約を作成した。

  この様に学生の釣りが組織的に検討され、具体的な活動が行われるようになったにも拘らず 私学の雄として、塾には他校にかなりの組織化をみた釣魚会に匹敵するものがなく、また 諸先輩の活躍を徒労に帰すことは忍び難く、ここに慶応釣魚会結成の機運が熟し、創立の準備に取り掛かった。

 

 
  2.釣魚会の創立  
   

 はじめに、当時「水心会(塾監局の釣同好会)」の幹事をしておられた石井隆氏と、同氏に紹介して頂いた塾監局職員の昆野和七氏のお二方には、創立に当たり一方ならぬ助言と相談 に時間を割いて頂き、また資金的な援助までして頂いたことにつきここに記しておきたい。

  昭和32年2月、高峰学生部長にお会いし釣魚会結成の意向を伝え、塾生の釣愛好家の存在を 知りたく「学生簿」閲覧の許可を得、調査したところ、三田の塾生だけで三百数十名も釣に 趣味を持った者が居ることが分かり、益々創立の意を強くした。

  同年4月塾監局女性の手を煩わせ、「作ろう釣魚会」のビラ千枚作成、4月上旬に日吉、中旬 に三田の学生部長宛ビラ配布許可願いを提出、まず新緑の銀杏並木に映える日吉で、上級生 面した2年生と、新調の帽子と制服に身を固めた新入生に、四日間ほど配布、その後、三田山上で上級生にも配布し、応募者があることを期待した。

  結果23名の応募者があり、遂に同年5月8日三田「202番教室」で会長他顧問の方々の出席の もとに「発会式」が行われ、「慶応義塾大学釣魚会」が誕生した。

 

 
  [役員の構成]  
   

   会 長   島崎 隆夫 経済学部教授(鮎釣りに親しまれ、戦前釣魚会を結成された。)

  顧 問   富田 実  植野精工株式会社(後のオリムピック釣具)取締役
             (昭和12年経済学部卒、四大学釣連設立当初より種々
             お世話になった。)

        昆野 和七 塾監局職員

        石井 隆  塾監局職員(水心会幹事)

  委員長   清水 一照 経済4J

   副委員長  井上 浩一 経済4C (兼関東学生釣魚会連盟幹事)

 

  会 計   南部光一郎 経済3J
  
庶 務   山口 正道 法学3

  渉 外   中田 貢右 経済3J

 (発会を記念し、会長が親しまれた鮎をベ−スにKFCの
    文字を載せ徽章を作成した。私は今でも大切に保持
    している。)

 

  3.第一回釣魚会総会開催・文連加盟  
     創立後、5月19日「第一回親睦ヤマベ・ハヤ釣会」を相模川で開催、制服姿で参加した者が居り、ビックリした記憶がある。
  30日に昆野和七顧問を講師にキス釣講習会を開催、6月2日鎌倉沖で「全慶応キス釣大会」を開催、20名の参加者があって当時としては大成功であった。
  更にこの間矢継ぎ早に行事が行われ、活気に満ちた5月であった。6月7日「第一回釣魚会総会」を三田で開催、釣魚会会則の採択と南部委員長以下7名による執行委員会を発足させた。
  ここに新執行部による釣魚会としての組織が確立、更に将来の発展を期待し、7月23日「文化団体連盟」に加盟申請し、準加盟とされた。
 
    以上が塾釣魚会創立時の経緯である。  (平成15年4月10日記)

 

 
 

 あとがき

 
   

 昭和32年5月8日塾釣魚会が創立されて46年経った。その間多数の釣魚会卒業生を輩出、平成10年3月14日KFCシニア会設立総会が開催され、5年後の本年3月15日第2回総会開催の案内があった。設立総会には出席出来ず大変残念であった思いもあり、この度は意を強くして出席した。出席するに当たり、久し振りに卒業当時を思い出してみようと、ぼろぼろなケースに収まっていた卒業アルバムを開いたところ、釣魚会の懐かしい写真があった。他にも何かある筈だと家捜ししたところ、昭和33年4月入社して3,4年経った頃、「波紋」の女性編集員から釣魚会創立の経緯につき投稿の依頼があり、経緯だけを書き並べた駄文の資料が出て来た。この度の拙稿はその資料に基づくものであるが、40年以上も前のもので当時の諸行事・動向に関して不確かな面があることご了承頂きたい。

 第二回KFCシニア会総会で役員が交代、横田会長を始め38から42年卒業のOBが新体制を組み シニア会の更なる発展を担うことになった。課題は現役との交流を如何にするかと言う事ではなかろうか。シニア会が活発なだけに現役の動向が気懸かりである。

 「老いてこそ人生」、「楽しい集い」は親睦を図るのみならず、会話を通じ自身の活性化を 計り、充実した人生を送ることのBASEになる。

  最近竿ならぬ「棒」振りの懇親もある様ですが、世話になるのはこの「棒」までと念じて。

       
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